昭和のお母さん?、万葉を語る。



さて、緑のスクリーンをバックに奈良県立万葉文化館で、万葉集にちなんだ講演をする
なんとなく「昭和のお母さん」のような雰囲気の女性は?−。
そう、初の女性文化庁長官、第2代文部科学大臣として、大学の独立法人化改革を遂げ、トルコ大使、国立西洋美術館長とエレガントかつパワフルに霞ヶ関に足跡を残した、女性官僚のパイオニア遠山敦子氏。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E5%B1%B1%E6%95%A6%E5%AD%90

前日の鼎談で、遠山氏は、小学3年生の頃から百人一首に親しみ、五七調という語型が自らの言葉のリズムとなっていると話す。
大学改革で国立大学の学長たちを集めて独立行政法人化への移行措置の法整備は万端整え、
額田王の歌を引用して鼓舞したところ、代表であった長尾真京大総長が「十分な糧がなくては船出できない」と応酬したとのこと。


百人一首の中でも特に
「富士の高嶺に雪は降りけり」が好きで、静岡では富士山を見て育ち、今、世界文化遺産としての登録を目指している。


(平成16年11月6日奈良県橿原文化会館で開催された「奈良県民教育フォーラム」において基調講演し、その朝に万葉文化館を訪問されている。かつ、終戦時の居住地が三重県桑名市で、奈良は復員した父親に最初に連れていってもらった土地ということである。
http://www.pref.nara.jp/kyoikuk/kyoikunohi/16/toyamasikouen.htm
また、その人となりは

富士山を世界遺産にするフォーラム
http://www.fujisan-net.jp/SEKAIISAN/20080319_02.html
さらに、教育によせる気骨を探れば、
東京大学基金寄付者インタビュー
http://utf.u-tokyo.ac.jp/interview/8.html
 遠山家は、戦国時代から徳川初期に亘り遠山地方を領地管理した信州の天龍村平岡にあるという。(これは夫君?)
http://www.pref.nagano.jp/xtihou/simoina/soumu/sho/sho11.htm

和歌山県訪問
http://www7.ocn.ne.jp/~nishi-24/essay/shin11.html
新国立劇場理事長としてのインタビュー
http://www1.news24.jp/blog/eye/2008/04/44.html