ベトナムの歴史遺産と平城京ータンロン皇城

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講演会「ベトナムの歴史遺産と平城京ータンロン皇城(ハノイ
)1000年の歴史を掘る」が11月23日午後1時半から奈良市法蓮
仲町の春日野荘で開催される。
(平城遷都1300年協会後援)日本ベトナム友好協会副会長の桃
木至朗・大阪大学大学院教授の司会により、井上和人奈良文化
財研究所都城発掘調査部長が「タンロン皇城1000年紀と平城遷
都1300年」、上野邦一奈良女子大学特任教授が「タンロン遺
跡の建築を考える」、奈良女子大学で博士号を取得し、現在、
ハノイ国家大学日本語学科で講師を務める
ファム・ティ・トゥー・ザンさんも現況を語る。
参加費は一般1500円、日本ベトナム友好協会会員、学生、在日
ベトナム人は1000円)。先着80人。申し込みは日本ベトナム
好協会奈良支部(奈労連気付)(電話0742−26−7135、ファッ
クス0742−27−3314)までファックスで申し込む。

以下はWikiなどから編集。
2010年、平城京遷都1300年の来年はベトナム首都ハノイ(タン
ロン)が建都1000年を迎える。同地は唐代には雲南南シナ海
を結ぶ交易路上にあり、安南都護府がおかれ唐による南方支配
の拠点となった。奈良時代の留学生で、唐王朝に仕えた阿倍仲
麻呂がこの府の長官(知事)を務めたこともある。唐末に安南
都護府の支配は形骸化し、さらに紅河が当時の海上交易網から
外れていったため、その重要性は一時低下した。しかし、11世
紀の李朝はこの地を都と定め、農業地帯を統治する拠点とした
李朝の成立以降、1802年阮朝がフエに都を移すまで王都と
して繁栄。その間は昇竜(タンロン)、東京(トンキン)など
様々な名で呼ばれてきたが、1831年に現在の名称になった。1873
年にはフランスに占領され、1887年フランス領インドシナの中
心地となった。昇龍(タンロン)遺跡は、戦火を超えて、南北
統一後、再びベトナムの首都となったハノイで2002年に国会議
事堂建設工事の際に発見された歴代の王宮の遺跡群で、現在も
発掘が続いている。2009年1月19日、ユネスコ世界遺産委員
会に対して世界文化遺産への登録が申請された。
同遺跡の発掘調査と保存指導は上野教授および奈良文化財研究
所の研究者らが担当している。