オウムからISに20年のインターバル、カルトとハイテク技術の倫理なき融合が生み出すものを予測することは容易だったはずながら”成人”させてしまった。1995年6月、戒律の基本も一切蹂躙したオウムの教祖に司直の手が伸びるその騒動の中で、奈良・西の京、唐招提寺の森本長老が静かに天寿を全うされた。鑑真和上の里帰りを果たし、社会主義革命・文化大革命という精神的廃墟に法灯を蘇らせる上で大きな貢献をされた森本長老。当時、医聖鑑真という実利的な受容が経済開放の機運にも益した。森本長老は「シルクロードは薬の道」を称揚されていた。奈良県の漢方・生薬は古代に遡る。寺院が心身の総合医療機能を有していたことも「みちのくの仏像」展(東京国博4月5日まで)の薬師如来像たちの展示で理解できる。
 大宝律令の起草者の一人で天武天皇の腹心であった下毛野古麻呂(しもつけのこまろ)は地元下野国(栃木県)にも薬師寺を建立する。藤原京で建立中の薬師寺からも影響を得たのだろう。ほぼ同時期に心身医療の拠点の槌音が響いていた。
(古代の祈りは継承されたのかこの寺には日本三戒壇の一つが設けられ、東北への文化発信拠点となり、現在は地域医療の人材を育成する自治医科大学が所在する。)
 
年頭に阪神淡路地区が大震災に揺れた1995年3月から5月21日まで初の都城藤原京創都の1300年を寿ぐ「ロマントピア藤原京」が開催されていながら地方博規模にとどまったことも銘記すべきだろう。
 高度経済成長期の南都寺院の復興は薬師寺のお写経勧進が示すように精神復興という以上に多様なコミュ二ティ・絆形成とも相まっていた。木造建造物を最古・最大規模で千数百年維持し、今も白鳳伽藍復興という技術の継承が続く仏都の課題は大きい。
 
戦後直後の焦土日本で昭和24年法隆寺金堂炎上を「国民の精神的疲弊」と自らに感じ文化財保護法成立に至った当時の為政者たちの思いをISに伝える機会は幾度もあると思う。
 奈良県知事選ではこうした仏都奈良が育む多様な意義をいかに未来に正しく継承できるかという視点からリーダーを決めたいものだと思う。老若男女の心を鼓舞し、国際化の中でハイブリッド国家日本人の生きる力を培うメッセージを出せる人材を。
 
 外来の高級ホテルや高級料亭によるおもてなし至上主義でないことだけは確か。
現知事、大和野菜振興や屋上緑化や東アジア自治体間対話などは評価できるのだが、シルクロード記念館の江上波夫コレクションを封印してしまっている点を指弾する県下有識者はいないのだろうか。こうした「交流」の風化はいかに海外要人を高級フランス料理でもてなしても国益を損なうといってよい。知事が代われば豹変してそれに従うヒラメ型保身思考志向の公務員が多い風土であるがゆえに「前知事の所為はなるべく封印しよう」となることが”政権交代”となった場合にもっとも懸念されるといってよい。



参考
ロマントピア藤原京
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2%E8%97%A4%E5%8E%9F%E4%BA%AC'95
水島宏明法政大学教授
誰も言わない「オウム」と「IS」(イスラム国)の共通点
http://blogos.com/article/108392/




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以下、出かけれrばよかった。
高松
かがわ映画祭
2時から