光、REFLECTION

さて、光と対話し光を内在化させ、そして光を放っているような作品が奈良市やすらぎの道に面したギャラリー上三条で開催されている。二紀会同人で同奈良支部所属の大東純子さんの個展。1994年から、同様な幾何学的な構成で、サムネールから100号超までさまざまなパターンで色と光の織り成す微妙な模様を描いてきた。失われた人のいのちをとどめたいという願いであるかのような「FOREVER」そして、
何か新しいものを生み出してくれる感じを得て「SOMETHING WAS BORN」となり、さらに、光は反射によって特定のものの存在を見せるだけでなく、隠しながらでもなお輝きつづけるという光の無限の照射を感じるままに反映させた「REFLECTION」という題で昨年から描いてきた。今回はその14年の足跡をたどる構成。内省を促す深い光に包まれ、訪れる人が共通して口にする言葉は「癒される」。光の交差した部分は十字架のようでもあり、また、青を用いた近作は、あたかも唐招提寺の障壁画の海のようにさえ見える。
何度も訪れて鑑賞する人もいる。(6月1日まで。午前10時から午後6時まで。最終日は午後4時まで。入場無料)

 

ここで追記したいのが、西村幸祐さんという大和郡山在住のモノクローム切絵作家の作品。本業はテクニカルコピーライターで20年前からの趣味の切絵を本格的に始めて6年、仏教美術写真の飛鳥園社長、小川光三氏のアドバイスを得て、これまでの技術型から感性によるデザインに開眼。また、東大寺末寺の普賢光明寺の鎌倉別院落慶にあたって、東大寺法華堂の不空羂索観音と日光、月光両菩薩の散華を制作。初めて自分の作品に名前の一字である「幸」を入れ、プロとしての意識を持ったという西村さん、さまざまな縁を繋ぐように
飛鳥園ギャラリーでの初個展に併せてその原版が展示された。期間中、切絵講習会もあり、連日満席の盛況ぶりだった。
 
 小川氏の仏像や古代の歴史風土に関する独自のエネルギッシュな解説と小川氏を慕うひとびとの群れに何らかのかたちで加わりたいとかねてより考えていた筆者も初めて切絵講習会に参加。本質を突いたディレクションと身近な素材を用い無駄なコストをかけない準備にテクニカルアートのような広がりを感じて充実した時間を過ごせた。

 小川氏一族は全員に「光」の文字がつく。播州平野で育ち、奈良で写真館。海の照り映えを加えた瀬戸内の空は独特の明るさを持つ。光明遍照、光にボーダーはないとイカロスのようにその可能性を信じる天性が往々に備わる。
 
 この光の多様さをあえてモノクロームで抽象した技術者の感性が込められた切絵はある種背筋が伸びるような厳しさと不思議な安定感を備え、新薬師寺の「伐折羅(ばさら)大将」は
奈良土産の袋のデザインにも発展。「幸」の落款とともに遍在することになる。
  
 21世紀は光の時代。これは20世紀の最後の年であったか、けいはんな光台で開催された産官学の技術・研究所関連展示の中で見かけた原子力研究所のコピー。20世紀が音速を超えて人類を移動させることを可能にした科学技術の世紀であったとして、21世紀は光の多面性に少しでも人類が歩み寄るべき時代として定義されるのかもしれないと、この地区に登場した光量子研究所という小さな光の装置に思ったことがある。