名のある花たち



写真は3月13日まほろば円舞会

路から「しらさぎ通信」のままアナ
久保美智代さんから、4月1日から西脇市に移動とのこと。
コウノトリに近づく。
http://micho.exblog.jp

1.<奈良県では、中国上海で開催される上海国際博覧会に、
7月23日から29日の1週間出展し、
「21世紀の遣唐使 奈良Week in 上海」を実施します。
内容は、OSK日本歌劇団による阿倍仲麻呂をモチーフにしたステージショー
と奈良の魅力をPRするパネル展示ですが、
パネル展示では、よりインパクトのある展示を行うため、
奈良県民のみなさま、奈良を愛するみなさまから、
笑顔の顔写真とメッセージをいただき、
パネルにして展示する予定をしています。
つきましては、そのフォトメッセージを募集しますので、
添付のチラシを参照の上、どしどしご応募くださるようお願いします。
特に団体でのご応募を歓迎していますので、職場、学校、サークルのみなさまで
是非、ご応募ください。お待ちしています。奈良県国際観光課インバウンド促進グループ >
というお知らせ。
2.<1300年祭と連動へ - 全国都市緑化フェア実行委総会
2010年3月26日 奈良新聞

 9月18日に広陵町と河合町にまたがる馬見丘陵公園で開幕する第27回「全国都市緑化ならフェア」に向け、同実行委員会(会長・荒井正吾知事)の第4回総会が25日、奈良市登大路町の県文化会館会議室で開かれた。国土交通省の椰野良明公園緑地・景観課緑地環境室長、近畿地方整備局の高村幸夫公園調整官ら顧問、また甘利治夫奈良新聞代表取締役らが出席した。

 荒井知事が「開催中の平城遷都1300年祭とつながる取り組みを」とあいさつ。緑化ならフェアを一過性のイベントとせず、フェア跡地を毎年継続的に花の催事に利用することや、フェア期間中200種類以上の品種が会場を飾るダリアなどの花を核に誘客につなげる新たな取り組みなど、知事として提案。「ここには関係者の方々も大勢いる。皆さんの意見も聴き、検討を進めたい」などとした。

 実行委では、平成22年度の事業計画として、6月中旬をめどに公園内で100日前イベントを実施することや、開会式、閉会式(11月14日)の日程、招待者数、催事や運営について報告があり、承認。予算案なども承認…>

3.http://www.naranichi.co.jp/20090924is131.html
<「ムジカ」はラテン語で「ミュージック、音楽、声」という意味。「道」「星」「色」をキーワードに奈良の都に寄せられた人々の思いと谷村さん自身の奈良に対する思いを込めて一つの歌にしたという。
 「奈良は国という意味。国は人々の心が重なり合って音を醸し出し歴史をつくり上げていく。そんな思いを込めてこの歌を作った」とも。
 「六連星(むつらぼし) 七つ星 夢織る願い星 海の道 土の道 名もなき人の道」、はるかなる旅人は星に導かれてふるの里に虹の橋をかける。「青丹(あおに)よし 朱丹(しゅに)にもよし さほ鹿のまどろみ 絹の道 風の道 名もなき人の道」、はるかなる旅人は命より添わせてその元へと虹の橋をかける。
 「嗚呼 咲き誇る 人は名もなき花 されど 夢を紡ぐ 人はムジカの花」「嗚呼 咲き誇る 歌は時を超えて 響くココロの音 それはムジカの花」−。>

4.『魏志倭人伝(『三国志』魏書東夷伝倭人条」。全文で1988(又は2008)文字)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D
(ぎしわじんでん)
<景初3年6月(239年)に女王は大夫の難升米と次使の都市牛利を帯方郡に派遣して天子に拝謁することを願い出た[4]。帯方太守の劉夏は彼らを都に送り、使者は男の生口(奴隷)4人と女の生口6人、それに班布2匹2丈を献じた。12月、皇帝はこれを歓び、女王を親魏倭王と為し、金印紫綬を授け、銅鏡100枚を含む莫大な下賜品を与え、難升米を率善中郎将と為し、牛利を率善校尉と為した。 >
これ以後も「生口」が何度か献上され、「名前のある人」に位階が贈られている。

この名もない「生口」たちはその後中国でどんな人生を送り、中国の大地となったのだろうか。
名もないムジカの花としてそれぞれの「花」を咲かせつつ。
SMAPの「世界でたった一つの花を咲かそう」には元気づけられるけれど、この名もないムジカの花という
くだりで涙があふれそうになるのは私一人であろうか。

奈良時代遣唐使として渡り、帰国できなかった官人や僧は幾人かいるが、その一人は中国人夫人との間に生まれたのであろう子供に「翼」と「翔(かける)」という名前をつけた。
その時代にとって空を飛ぶことは、彼らが帰国できる確率以上に夢のまた夢。

「夢」を現実にした21世紀の日本人、大和王権平城京に至る国家の脊椎が育まれた土地から
今、どんな使者を送るのだろうか。
いっそ、違う名前で呼んでいるかもしれない大和の花々と一緒に奈良県民たちの「笑顔」を展示してはいかがだろうか。


参考
http://www14.plala.or.jp/hiro_1/nihon/shiryou/s003.htm
倭人は帯方(たいほう)(*1)東南南海に在り。山島に依りて国邑(こくゆう)を為す。旧(もと)百余国、漢の時朝見(ちょうけん)(*2)する者在り。今使訳(しやく)(*3)通ずる所三十国。郡(*4)より倭に至るには、海岸に循(したが)ひて水行し、・・・・・邪馬壹国(*5)に至る。女王の都する所なり。・・・・・男子は大小(*6)と無く、皆鯨面(げいめん)文身(ぶんしん)(*7)す。・・・・・租賦(そふ)(*8)を収むに邸閣(ていかく)(*9)有り。国々に市有り。有無を交易し、大倭(だいわ)(*10)をして之を監せしむ。。女王国より以北には、特に一大率(いちだいそつ)(*11)を置き、諸国を検察せしむ。諸国之を畏憚(いたん)す(*12)。・・・・・下戸(げこ)、大人(たいじん)と道路に相逢えば、逡巡(しゅんじゅん)(*13)して草に入り、辞を伝へ事を説くには、或は蹲(うずくま)り或は跪(ひざまず)き、両手は地に拠り之が共敬を為す。・・・・・其の国、本亦(もとまた)男子を以て王と為す。住(とど)まること七、八十年。倭国乱れ、相攻伐して年を歴(へ)たり。乃(すなわ)ち共に一女子を立てて王と為す。名を卑弥呼と曰ふ。鬼道(きどう)(*14)を事とし、能(よ)く衆を惑(まど)はす。年己(すで)に長大なるも、夫壻(ふせい)(*15)無し。男弟有り、佐(たす)けて国を治む。・・・・・景初二年(*16)六月、倭の女王、大夫(たいふ)難升米(なしめ)等を遣し、郡に詣(いた)りて朝献せんことを求む。・・・・・卑弥呼以て死す。大いに冢(つか)(*17)を作る。径百余歩、徇葬(じゅんそう)する者、奴婢(ぬひ)百余人。更に男王を立てしも、国中服せず、更々(こもごも)相誅殺し、当時千余人を殺す。復(ま)た卑弥呼の宗女(そうじょ)(*18)壹与(いよ)(*19)の年十三なるを立てて王と為す。国中遂に定まる。




(*1)後漢末に楽浪の南半を割いて設けた郡 (*2)朝貢し謁見する (*3)使節 (*4)帯方郡 (*5)壹(壱)は臺(台)の誤りか (*6)長幼 (*7)顔や体のいれずみをする (*8)租税 (*9)倉庫 (*10)官名か (*11)役職の一つと推定される (*12)おそれはばかる (*13)しりごみする (*14)呪術 (*15)夫 (*16)三年(239年)の誤り (*17)墳丘 (*18)一族の女 (*19)臺与(とよ)の誤りともいわれている